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多くの女性がつまずくのは、「起業すること」よりも「続けること」。 女性誌編集者・インタビューコンテンツプロデューサーの橋本夏子が、女性経営者のリアルな選択と“続ける力”を紐解く対談シリーズ「Story Cafe」。 今回は、サンフランシスコ在中エグゼクティブキャリアコーチ・吉川ゆりさんにお話を伺いました。

吉川ゆりさんの言葉が、なぜ心に残るのか

かっこいいな、すごいな。 そう思う一方で、 どこか自分とは違う世界の人かもしれない—— そんなふうに感じてしまうこと、ありませんか。

・「アメリカで20年以上、金融業界の管理職として活躍」
・「4カ国でチームを立ち上げ、人材育成にも携わる」
・「キャリアとビジネスのサクセスコーチ、エグゼクティブコーチ」
このプロフィールを見たとき、 多くの方が、そんな印象を持つかもしれません。 私自身も、最初はそうでした。

 

日経xwomanのアンバサダーとしてお名前は拝見していたものの、 実際にお話しする機会があったのは、 日経BPから出版されたご著書『なぜ、あなたは時間に追われているのか』をきっかけにした対談のとき。

その時間を通して、 ゆりさんの印象は、大きく変わりました。

もちろん、キャリアは圧倒的です。 アメリカの金融業界で20年以上働き、管理職としてチームを率い、 4カ国で人材育成やチームの立ち上げを経験されてきた。 その実績だけを見れば、まさにグローバルに成功してきた女性です。 でも、実際にお話を伺ってみると、 ゆりさんの魅力は、そうした肩書きだけでは語りきれないものでした。 話し始めると、とても自然体で、 時々くすっと笑ってしまうようなやわらかさがある。

そして、とてもフランクで素の自分、過去の奮闘、モヤモヤなども隠さず話してくれるんです。
私はゆりさんのキャリアなら帰国子女だったのかななんて思っっていたのですが、地方育ち、そして、実は 東京の大学へ行きたかったけれど、親の価値観の中でその道を選べなかった。そして、大学院で夢だったアメリカに渡ったものの、就職時にはビザの壁にぶつかり、履歴書を300通送り続けた経験もあるそう。

外側では成功しているように見えても、 心の奥にはずっと「本当にこれでいいのだろうか」という違和感があったということもお話しいただきました。 

華やかなキャリアの今ができる前は、ゆりさんも、 私たちと同じように悩んできた人。 でも、その葛藤を乗り越えて 自分の人生の力に変えてきた人なんだ、と。

かっこいい経歴の奥にある泥臭さ。 知的な言葉の奥にある深い優しさ。
そして、「人はいつからでも変われる」と本気で伝えようとしているその熱量。
ゆりさんの思いや熱量こそ、 今、頑張っているのにどこか苦しい人や、 外側ではちゃんとやっているのに、心の奥で違和感を抱えている人の力になる。 そう感じて、今回あらためて、じっくりお話を伺いました。

今回のインタビューで引き出したかったのは、キラキラ輝く華やかな肩書きの成功談ではありません。その奥にある、ゆりさんの人柄。 努力と悔しさを重ねてきたリアルな歩み。 そして、自分の内側の声を聞きながら、人生をもう一度選び直していくためのヒントです。
夢のアメリカでぶつかった現実から、 どのように道を切り拓き、現在は多数の人たちの人生をかえてきたエグゼクティブコーチ。 吉川ゆりさんの人生の原点と、 人生を変えるセルフリーダーシップについて伺います。

華やかなキャリアの裏側にある努力と葛藤

現在のゆりさんは、キャリアとビジネスのサクセスコーチ、エグゼクティブコーチ、そしてMental Breakthrough Coaching™スクールの代表として活躍しています。

アメリカの金融業界で20年以上、管理職としてキャリアを築き、4カ国でチームを立ち上げ、異なる文化や背景を持つ人たちのマネジメントと育成に携わってきた人。たしかに“すごい人”。一見すると、ずっと上り坂のキャリアを歩んできたようにも見えるし、昔からぶれずに強く生きてきたようにも見えます。

でも、ゆりさんの魅力はもっと人間ぽく自然体。圧倒的なキャリアの裏側にあるあたたかさと粘り強さなんです。

もともと海外への憧れを持ったのは中学生の頃。海外で働く日本人女性の姿に心をつかまれ、「将来、こういうふうになりたい」と思って英語を猛勉強したそう。そこから大学院留学、アメリカでのキャリア、金融業界での実績へとつながっていくわけですが、その道のりは、決して“ただ夢を叶えた人”という一言では片づけられないものだったように思います。

なぜなら、夢を叶えたその先でも、違和感は消えなかったからです。
やりたいことをやっている、結果も出している。物質的な豊かさもある。
外から見れば十分にうまくいっている。

 それでも、30代の頃から心の奥にはずっと、「この働き方で、本当に私は幸せなんだろうか」

「私は何のために生きているんだろうか」という問いが残り続けていたといいます。
そして、その違和感こそが、結果的にゆりさんの人生を動かしていく大きなきっかけになっていきます。

 外側の成功だけでは、自分を納得させきれなかったこと。
心の奥で消えなかった違和感を、見ないふりのまま終わらせなかったこと。
そして、そこから人生を選び直し、実際に行動していったこと。
そういうひとつひとつに、ゆりさんの強さと人間らしさがあるように感じます。

20代の頃に思い描いていた幸せは、キャリアの成功や、華やかさの中にあったのかもしれません。
でも、結婚や出産を経て、幸せの基準は少しずつ変わっていく。
子どもと過ごすかけがえのない時間を、ちゃんと味わいたい。
自分にとっての幸せを、もう一度、自分の感覚で見つめ直したい。

そうした思いが、ゆりさんを次の人生へと向かわせたのだと実感しました。

 

30代前半まで親の価値観に囚われ、
チャレンジできなかったことを後悔していた

まず最初に憧れを持ったのは、中学生の頃だったそうです。 英語を習い始めた頃に、マイケル・ジャクソンやビートルズの音楽に出会い、その音楽や世界観にすごく惹かれた。それが、ゆりさんの中で「外国」への興味の入口になっていったといいます。さらに当時、外国で働く日本人を特集するテレビ番組が日曜の朝などにやっていて、そういうドキュメンタリーを見るのがすごく好きで、毎週のように見ていたそうです。 その中で、ニューヨークの投資銀行でヴァイスプレジデントをしている日本人女性が出てきたことがあった。 その方がニューヨークで働いていて、東京にも出張していて、その様子を追っている内容だったのですが、それが中学生だったゆりさんには本当にかっこよく見えたといいます。 「将来、こういう感じになりたいと思ったんです」 この言葉が、とても印象に残りました。 まだ中学生で、もちろん現実の仕事の厳しさなんてわからない。けれど、そのときのゆりさんには、その女性の姿がただただ眩しかったのだと思います。そして、その憧れをそのままにせず、そこからめちゃくちゃ英語を頑張って勉強するようになった。 もうこの頃から、ゆりさんは夢を夢のままで終わらせず、そこに向かって自分を動かせる人だったのだと思います。

そんなふうに、海外や世界への憧れをずっと持ち続けていた一方で、ゆりさんの中には、長く心に残り続けていた悔しさもありました。 それが、「東京の大学に行けなかったこと」でした。 本当は東京の大学に行きたかった。 でも、親がすごく厳しくて、「東大以外は絶対に東京には行かせない」という感じだったそうです。私立もだめ。東京もだめ。今思うとよくわからないような偏見もあって、その価値観の中で、東京の大学に行くことを諦めてしまったといいます。 「でも、その“チャレンジしなかった”ということを、私は30代前半くらいまでずっと引きずっていました」 その言葉も、とても印象に残りました。 中学生の頃にテレビで見ていた、ニューヨークの投資銀行で働く女性の姿。 そのイメージはずっと心の中に残っていて、その後、自分がアメリカから部下を連れて日本支社に行き、日本のお客さまのプロジェクトを担当するようになったとき、ふと「あのとき東京に行っていたら、こういう素敵な都会で、こういう人たちと学生時代を送れたのかな」と思ってしまったそうです。 なんであのとき、親の言うことを聞いてしまったんだろう。 なんで自分でチャレンジしなかったんだろう。 そういう思いを、30代くらいまでずっと抱えていた。

でも、もし東京に行っていたら、東京の生活が楽しくて、海外に行こうという気持ちは、ここまで強くならなかったかもしれない。 そう考えると、あのときの逆境が、結果的にはアメリカへ向かう力になったのかもしれません。 ゆりさんの人生には、そんなふうに、そのときは悔しさだったことや、選べなかったことが、あとになって別の意味を持ちはじめる瞬間がいくつもあるのだと思います。 中学生の頃に抱いた憧れも、東京へ行けなかった悔しさも、全部がつながって、後のアメリカへと続いていったそう。

そのような背景を聞いていくと、あのゆりさんでも、最初からきれいに上手くいっていったわけではなく、むしろ夢に向かうにはどうしたらいいのか、憧れと悔しさの両方を抱えながら、自分で切り拓いてきた道なのだと感じます。

履歴書300通からの逆転!受かったのがたまたま金融だった

日本の大学を卒業後は、アメリカの大学院へ。そして大学院を出たあと、そのままアメリカで就職したゆりさんですが、ここがとても大変だったそうなんです。
もともとは国際公務員になろうと思っていたそうですが、国際公務員になるには、試験や面接など、いろいろなプロセスがあって時間がかかる。その間、みんな普通に仕事をしているので、それなら自分もアメリカで英語を使って仕事をしたほうがいい、と思って仕事を探していたそうです。 でも、アメリカで仕事を探すうえで一番大変だったのが、ビザでした。 しかもアジア人、女性という就職の条件もよくない中、就労ビザを取るには、会社にスポンサーになってもらわないといけない。会社側も弁護士を雇わなければいけないので、簡単には出してくれない。最初はドットコム企業に入り、そこでスポンサーをしてくれると言われていたのに、ドットコムバブルが弾けて「できなくなった」と言われた。次に翻訳会社に行き、そこで就労ビザを申請してもらったけれど、政府に却下された。専攻と仕事内容が合っていないという理由でした。もう本当に期間がなくて、日本に帰らなければいけないかもしれないところまで追い込まれていたといいます。
 
そして最後の最後で、日本語が話せるコンサルタントを探している会社があった。 そこに面接に行ったら、ビザのスポンサーもしてくれることになって、本当にギリギリのタイミングで見つかった仕事が、たまたま金融関連の会社だったそう。
 
経歴だけを見ると、大学院に行って、そのまま金融の仕事に就いて、グローバルに活躍してきた人に見える。でも、その間には、いつ日本に帰ることになるかわからない恐さや、ビザひとつで人生が止まってしまうかもしれない現実があった。ゆりさんのキャリアは、最初からきれいにつながっていたわけじゃない。その不安定さや必死さを知ると、今の華やかさの裏側、いかに茨の道とも言える中で夢を諦めずに掴んできたか、その気持ちの強さに私は感動さえ覚えました。
 
 

アメリカ生活は底辺からのスタート

 その必死な時間を、ゆりさん自身は「底辺からのスタートでした」と振り返っていました。 最初の頃はお金も全然なくて、仕事が見つかるまでは、もう超貧困層みたいな生活だったそうです。 住んでいたのはオークランド。 今は都市再開発が進み、若い人や家族連れも住むようなエリアになっていますが、当時は本当に治安が悪かった。アパートのマネージャーには、「2つ通りを越したら、あそこにいたら死ぬから絶対行くな」と言われるような場所だったといいます。 そんな生活の中で続けていたのが、履歴書を送り続けることでした。 履歴書を300通くらい送っても、面接に行っても、面接ではいい感じなのに、ビザの話になると落とされる。 だから、もう「仕事がないのが当たり前」みたいな感覚になっていたといいます。 当時は、紙の履歴書をひたすらプリントして、カバーレターという手紙と一緒に送っていたそうです。履歴書用の少しいい紙が一箱150枚くらい入っていて、それを一箱くらい使ったと思う、と話してくださいました。 返事が来るところもあれば、まったく返ってこないところもある。面接してくれるところもあるけれど、そもそも面接で落ちることもあるし、「雇いたい」と言われても、「やっぱりビザがダメだった」と言われることもある。 それでも、絶対に仕事を探さなければいけない。だから、昼間は仕事をして、夜帰ってきたら履歴書を送る。その繰り返しを、ずっと続けていたそうです。
 
 そして、いよいよ日本に帰らないといけないという直前に仕事がようやく決まります。そこがたまたま金融だったそう。最初から金融でバリキャリのスタートではなく、粘りに粘って掴んだ仕事。ようやく仕事が決まったとき。 オフィスに行って、2人部屋とはいえ広い部屋で大きなデスクを使わせてもらって、「私、こんなに大きいデスクを使えるの?」と思ったそう。車が必要な場所だったので車も買って、そういう一つひとつが本当に新鮮だったそうです。 そのときの気持ちを、ゆりさんは 「人間になったみたいな感じでした」 と表現していました。
 
この言葉が、とても印象に残りました。 今のゆりさんの華やかな経歴だけを見ていると想像しにくい、努力と必死につかんだアメリカでの仕事に成功の裏側にある力強さと今につながる説得力があるのだと感じます。

アメリカは日本より人脈の社会。コネなしからの逆転方法とは

履歴書を300通送り続けて、ようやく仕事にたどり着いた。 その経験を経て、ゆりさんがアメリカで強く感じたのは、「アメリカは実力主義」というイメージだけでは語れない、もうひとつの現実でした。 それが、人脈の大きさです。 アメリカでは、新卒でも経験がないと雇ってもらえない。 では、その経験をどうやってつけるのかというと、多くの人は高校や大学の頃からインターンシップをして、そこで実績を積んでいくそうです。いちばん王道の就職先は、そのインターンシップ先。 でも、ゆりさんにはそういう土台がなかった。だから、そもそも入口に立つこと自体がすごく大変だったといいます。 さらに、コネがないと、レジュメそのものを見てもらえないこともある。 履歴書がたくさん集まる中で、誰かが知っている人かどうか、誰かが紹介してくれる人かどうかで、大きな差がつく。 だから、ただ応募するだけではなく、いろいろな場所に出かけていって、ネットワーキングをする必要があったそうです。 卒業生コミュニティが強い大学院だと、ネットワーキングの会があったり、卒業生がさまざまな業界にいたりして、「この後輩いいから面接してみたら?」という形でつながっていく。そういう“見えない入口”が、最初から用意されている人たちもいるわけです。
 
ゆりさんの大学院には、卒業生は国際機関に行く人が多かったので、地元に残っている人は少なかったそうです。 一方で、たとえばUCバークレーのような大きな大学の卒業生たちは、卒業生ネットワークが本当に強い。レジュメが送られてきたときにも、「この人知ってる?」「知ってる、知ってる」という形で話が回っていく。 そうなると、面接に行く前の段階で、すでに差がついてしまう。 知っているか、知られているか。それが、新卒の最初から大きな差になる。 そういう現実があったといいます。 「人脈は本当に大事ですね。私は、それが一番大事なんじゃないかなと思いました」 この言葉も、とても印象に残りました。
 
私たちはつい、アメリカは実力さえあれば上がっていける社会なのかな、と思いがちです。 でも実際には、実力だけではなく、誰とつながっているか、誰に見つけてもらえるか、誰に声をかけてもらえるか、そういうことがものすごく大事だった。 ゆりさん自身、その後いろいろな会社に行ったけれど、全部が正規の方法ではなく、「来てください」と言われたところか、誰かが先にその会社に行っていて、「この人いいから呼んだら?」と紹介してくれたところばかりだったそうです。 そして、そこでいいボスと出会ったら、そのボスについていく。 そうやってキャリアが広がっていった。 きれいに整えられたキャリアの裏側には、こういう現実的なルールを一つひとつ学びながら、自分の居場所をつくっていった時間がある。 私はそこにも、ゆりさんのしなやかさと強さを感じました。 理想だけでは進めない場所で、現実を見て、そこに適応しながら、それでも自分の道を切り拓いていった。 その積み重ねが、今のゆりさんのキャリアを支えているのだと思います。

ゲームを変えろ!逆算思考で戦略的に演出を変える

アメリカで働く中で、ゆりさんが強く学んだのは、ただ一生懸命に働くだけでは上には行けない、ということでした。 日本でアルバイトをしていた頃の感覚では、気が利く人や、何でも嫌がらずにやる人が重宝される。だから仕事もそういうものだと思っていたそうです。 でも、その感覚のまま働いていたとき、ボスに「それは若いときのゲームを、いつまでも続けていてはダメだよ」と言われた。さらに「ゲームのルールを見極めなさい」と言われて、みんなは未来から逆算して戦略的に動いているのに、自分は「何でもやります」と、働き蜂のように何でもやっていたのだと気づいたそうです。そこから、先に行きたい場所を決めて、自分をどのポジションに置くかを意識するようになったといいます。
 
そして、その逆算思考は、「どう働くか」だけではなく、「どう見せるか」にもつながっていったそうです。 たとえば、30万人くらい社員がいる大きな銀行で働いていたときも、普通に仕事をしているだけでは、社長や役員に覚えてもらうことは難しい。 だから、どうやったら実際に会って話せるかを考えたといいます。もともと国際機関で働きたいという思いもあって、ボランティアやNPOの活動に興味があり、NPOの理事のようなこともやっていた。そうしたことを周りに話していたら、大きなチャリティキャンペーンの責任者のような役割を任せてもらえて、社長を呼んでイベントができるようになったそうです。仕事とは直接関係なくても、顔が売れる機会はいつも探していたと話してくださいました。 それから、社内で「私たちのチームはこういう仕事をしています」とプレゼンする機会があったときも、みんなはテクニカルな統計を使って、すごく難しいプレゼンをしていた。 その中で、ゆりさんはあえて、ストーリーテリングで勝負したといいます。 そうしたら、全員の頭に焼きついた。 逆張りというか、意外性を意識して、目立つようにしていたそうです。 「ブランディングしなきゃダメだよ」とボスに言われたことも、大きな転機になったと言います。
 
あるとき、自分が思っている自分と、他の人が思っている自分の間に乖離があると感じて相談したところ、「人からどう見られるかは、自分で先に設計するものだから、今すごくいい感じになっているなら、今度からそういう感じに設計していけばいいじゃん」と言われた。 その視点は、それまでのゆりさんには一切なかったそうです。 でも、特に忙しい上の役員たちは、誰が何をやっているかを細かく見ているわけではなく、イメージで仕事を振ってくる。だから、良いイメージが確立されれば、面白いプロジェクトが回ってくる。面白いプロジェクトに入っていると、また次の面白いプロジェクトにも呼ばれるようになる。 そうやって、見え方を自分で設計することの大切さを学んでいったといいます。 私はこのお話を聞いていて、ゆりさんのキャリアは、ただ能力があったから伸びていったというだけではないのだなと感じました。 その場その場で求められるルールを学びながら、自分の立ち位置を考え、どう見せれば伝わるのかまで含めて、戦略的に自分を記憶させ、自分の戦い方を変えていった。 
そういう現実感覚としなやかさがあったからこそ、アメリカという厳しい環境の中でも、少しずつ自分の場所をつくっていけたのだと思います。

出産を期に、幸せの基準が変わり価値観が変化

アメリカの中で仕事のルールを覚え、キャリアを積み上げていく一方で、ゆりさんの内側には、ずっと別の思いもあったそうです。 外から見れば、ステップアップして、キャリアを重ねて、順調に見える。 でも、その中で「このままでいいのだろうか」という違和感は、確かに存在していた。 「ありました。最初から金融に行きたかったわけではなく、本当は国際機関のようなところに行きたかったので、当時の私はどこかで『商売は悪』のような価値観を持っていたんです」 最初のコンサルタントの仕事はすごく楽しかった。 でも、結婚して、妊娠したいと思ったときに、出張が多い仕事はもう無理だなと思って、銀行に行った。 そのあと、自分の中に「私はもっと社会的に人の役に立つような仕事がしたいのに」という気持ちが出てきたといいます。

当時は銀行という仕事に対して、あまり良いイメージを持てていなかった。 それで、NPOの理事をやってみたり、ボランティアでプロボノのプロジェクトをやってみたりもした。 でも、それでも気持ちは収まらなかったそうです。 自分の価値観と違う仕事をしているという感覚が、ずっと残っていた。 ただ、その気持ちは、当時は「子どもを産みたい」という思いよりは下にあって、表には出ていなかった。 でも、子どもが生まれたことで、それまでずっと下に押し込めていたものが、また出てきた。 「まるで、噴火してきたみたいな感じでした」 この表現が、とても印象に残りました。 違和感って、ある日突然どこかからやってくるものではなくて、ずっと下にあったものが、あるきっかけで一気に表に出てくることがあるのだと思います。 ゆりさんにとって、それが出産だった。 外から見れば順調でも、内側ではもうごまかせないものが動き始めていた。 そのズレが、ここではっきり形になってきたそうなんです。ここがゆりさんの転機になっていくわけですね。

檻の中にいた自分から、本来の自分へ

その後、ゆりさんはコーチングと出会います。 ただ、ご本人のお話を聞いていると、「コーチングに出会った」というより、自分の人生をひっくり返す先生に出会った、というほうが近いのかもしれません。 「コーチングに出会ったというより、コーチングを教えてくれた先生に出会った、という感じです」 実は、その前にもコーチという存在はいたそうです。 会社でエグゼクティブコーチがついていたこともあったし、一度転職したときにはライフコーチもいた。だから、コーチそのものが初めてだったわけではない。 でも、そのときは本当にどん底だったといいます。 毎日苦しくてたまらない。 でも、会社には行かなければいけない。 何をすればいいのかわからなくて、本をたくさん読み、YouTubeやポッドキャストを聞きまくって、そこで言われていることをひとつひとつやっていた。 そうしているうちに、「そういえば昔、20代の頃にNLPのコーチングをやりたいと思ったことがあったな」と思い出したそうです。 

そこで、たまたま見つけた先生とのセッション中に「自分は自分のままでもいいんだ」という気づきを得たそうです。これはゆりさんの中で大きな変化となりました。「それまでは、自分の思っていることを言ったら、絶対にみんなに嫌われると思っていたんです」 会議でも、相手が聞きたいことを発言していた。 相手が何を欲しがっているかを察知して、それを出す。 そうやって出世してきたのだと思う、と話してくださいました。 それで仕事では評価される。 でも、そのぶんずっと苦しかった。 なぜなら、自分がなくなってしまっていたからです。 その体験を通して、「自分で何でも言っていいじゃん」と思えた。 自分でコーチングのビジネスをしてもいいんだ、と。 それまでは、自分が外に出ていって、自分の思ったことを言うこと自体を、どこかで禁じていたのだと思う。 そう語るゆりさんの言葉には、長い間“自分を抑えることで生きてきた人”ならではの重さがありました。 「ちょっと変なことを言ったらどうしよう、と思っていましたし、本当はすごく腹が立って言いたいことがあるのに、ぐっと飲み込んだときは、『ああ言えばよかった、こう言えばよかった』というリフレインが、何日も続くこともありました」 だからこそ、 「自分の思ったことを言ってもいい」 と思えたことは、ゆりさんにとってとても大きなことだったのだと思います。 外から見ると強く見える人ほど、実はずっと“相手に合わせる”ことで生きてきた、ということがある。 評価されることと、自分でいることは、必ずしも同じではない。 でも、そこに気づいて、自分の声を取り戻していくことが、人生を変える入口になる。 ゆりさんにとってのコーチングは、まさにそういうものだったのだと思います。

この衝撃的な体験があってから、ゆりさんは、自分がなぜあそこまで苦しかったのかを、少しずつ言葉にできるようになっていきます。 「当時、自分は勝手に思い込みを作って、本来の自分の望みに蓋をして生きていたから、ミッドライフクライシスのような状態になったんだと思いました」 その頃は、「檻の中に入っている」という表現をしていたそうです。 自分で作った檻の中にいて、本当の自分の望みや声が外に出られなくなっている。 だから、その檻の中にいる人の、本来の自分を出すためのコーチングをしたいと思った。 完全に、自分が経験したことを他の人にも伝えていきたい、という思いで始めたといいます。

コーチは、安心して変容できる磁場をつくる存在

今、コーチングをするうえで大切にしている価値観を伺うと、ゆりさんは「底の底にあるものを言うと、コーチというのは、何かをする人というより、その人が安心して変容できるような磁場をつくる存在だと思っています」と話してくださいました。 エネルギーフィールドをつくる。そのためには、自分自身がすごくクリアでなければいけない。自分の中で何かが出てきたら、すぐに「これは何なんだろう」と見て、必要があれば癒していく。人や世の中を鏡として見ながら、クリアなチャンネルになることを阻害するものを、できるだけ取り除いていく。そうやって、自分自身を整え続けることを大切にしているそうです。
 
「コーチとして人の変容を扱うということは、相手をどうにか変えようとすることではなく、相手が安心して自分の本質に戻っていける場をつくることだと思っている」 この言葉が、とても印象に残りました。 コーチングスクールの中ではレイキも教えていて、それも“磁場をつくれる人になるため”だといいます。人の変容を支える側も、自分自身の中を整えて、通りをよくしていくことが必要。ヒーリングも、体力も、身体の状態も関係する。だからこそ、そういうことを総合的にコーチしているのだそうです。
仕事と家庭のバランスについて伺うと、ゆりさんは「私は『全部がつながっている』のが一番いいと思うんです」と話してくださいました。 両立とか、分けて考えるのではなく、自分が仕事をすることで子どもにも良い影響があるかもしれないし、自分の働く姿や考え方が、子どものためになることもある。そういうふうに、自分のやっていることが分離していない状態が、一番いいのではないか、と。 現実がすぐに変えられないなら、意味づけを変えればいい。仕事と家庭を対立するものとして見るのではなく、自分の生き方の中でどうつながっているのかを見ることで、少し楽になることもあるといいます。
 
もちろん、物理的にやることが多いときに、全部に100点満点を求めていたら無理。 だから、100点じゃないといけないことと、50点でもいいことを分けるのは大事だとも話してくださいました。 さらに、「大事なのは、完璧であることではなく、完璧ではない自分を自分で認めて、人にもさらせること」だとも。 子どもに怒ってしまうことがあっても、そのあとにちゃんと話し合って、自分の気持ちも伝える。完璧な親でいることよりも、不完全な自分を認めながら関係を修復していくことのほうが大事なんじゃないか。 この考え方には、ゆりさん自身がずっと向き合ってきたテーマが、そのままにじんでいるように感じました。

頑張ってきたのに苦しい人に、自分のパワーを思い出してほしい

今回のセミナーには、どんな人に来てほしいですか、と伺うと、ゆりさんは「いっぱい頑張って、努力してきた人です」と答えてくださいました。 でも、なんとなく「もっとある気がする」とか、「これじゃないかも」とか、なんとなく苦しい。そういうときが誰にでもある。 そういうとき、本当は自分の中にもっとパワーがあるのに、今はそれが見えていないだけの状態なんだと。だから、「何かあるんじゃないかな」「ヒントが欲しいな」と思っている人に来てほしい。自分の中にある本来の力を思い出すきっかけになればいいなと思っている、と話してくださいました。
 
最後に、日本の皆さんへのメッセージを伺うと、「人生は短い。でも、いつからでも変えられる」と。 変えるというのは、何か大きなことを起こすことだけではなく、日常の解像度がものすごく上がることでもある。 多くの人は、自分の可能性を低く見積もりすぎている。本当はもっとできる気がする、本当はこのままではない気がする。そういう感覚があるからこそ、苦しさや違和感として出てくるのだと思う。 だから、まずはそこに気づいてほしい。そして、気づくだけで終わらせるのではなく、それを本当に実行に移して、現実を変えていく。 そのためにゆりさんが大切にしているのが、内側の気づきと、外側の結果をつなげることでした。自己受容や自己愛によって内側を整えながら、それをどう行動に落とし込み、どう仕組みにして、どう現実を動かしていくのか。そこまでをつなげていくのが、ゆりさんの今のフレームワークなのだそうです。 
 
ゆりさんのコーチングは、ただ内側を整えて終わるものではなく、その先の現実を、少しずつでも動かしていくためのもの。 だからこそ、頑張ってきたのにどこか満たされない人や、ちゃんとやれているはずなのに心の奥で引っかかりを抱えている人にとって、もう一度自分を選び直すきっかけとなり、人生の主導権を取り戻すための大きなヒントになるのだと思います。
 

吉川ゆりさんの人生再設計セミナー5月9日(土)東京開催

ゆりさんの感性・知識・人柄をぜひリアルで感じとって!

ゆりさんのお話を伺っていて感じたのは、人生は、外から見える華やかさや肩書きだけでは語れないということでした。 中学生の頃に抱いた憧れ。 東京の大学に行けなかった悔しさ。 履歴書を300通送り続けた日々。 外側では順調に見えながら、心の奥ではずっと消えなかった違和感。 そのひとつひとつを、なかったことにせず、ちゃんと受け止めながら、自分の人生を選び直してきた。 だからこそ、ゆりさんの言葉には、きれいごとではないリアルさがあり、今まさに頑張っているのにどこか苦しい人の心に、まっすぐ届くのだと思います。
 
今の自分に何が起きているのかを見つめ、本来の自分の力を思い出し、そこから先の現実を動かしていくためのヒントをくれる言葉です。 だからこそ今回のセミナーは、頑張っているのにどこか苦しい人や、外側ではちゃんとやれているのに心の奥で違和感を抱えている人にこそ、来ていただきたい時間です。 普段はサンフランシスコを拠点に活動されているゆりさんのお話を、リアルで受け取れる貴重な機会。
 
本やSNSだけでは受け取りきれない、言葉の熱や、その場の空気まで感じられる時間になると思います。 今の自分を少しでも変えたい。 自分の中にある本来の力を、もう一度思い出したい。 そんな方は、ぜひこの機会に、ゆりさんに会いに来ていただけたらと思います。
私も当日会場でゆりさんを応援したいと思います。(橋本夏子)

私たちがリコメンド!リアルで体感してほしい、吉川ゆりさんの魅力

まじめに頑張りすぎる人の救世主
まじめで、責任感があって、つい何でも抱え込んでしまう。そんなふうに頑張っているのに、どこか苦しい方にとって、ゆりさんの言葉は大きな救いになるはずです。努力の量を増やすのではなく、頑張る方向を見直す。そのきっかけをくれる方だと思います。(NLPエグゼクティブ・コーチ 上野ハジメさん)
忙しいのに報われない人の、強い味方
「時間を制するものが、人生を制する」という言葉に、とても共感しました。忙しさの中で自分の夢を後回しにしてしまいがちな人や、責任を抱えすぎてしまう人にこそ、このセミナーで直接ゆりさんの言葉に触れてほしいと思います。 (ビバヒルママ社長 川原エミリ氏)
時間=集中力という視点が人生を変える

「時間=集中力」であることを知れたのが、私にとって最大の収穫でした。集中力をどうマネジメントするかで、時間の使い方も、日々の充実感も大きく変わっていくのだと思います。だからこそ、この視点を、ぜひセミナーでゆりさんから直接学んでいただきたいです。(文章の専門家 山口 拓朗氏)

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「時間がない」から抜け出したい人へ

これまでにいろんな夢を実現されて、ご自身でも体現されているメソッドを直接ゆりさんから聞ける機会はすごい。「時間がない」状態をどう抜け出したらいいのかわからないまま、繰り返しの日々を送っている方にこそ、ぜひ聞いてほしいです。 (ライフキャリアコーチ Juni Shimizu 氏)

今だからこそ、リアルで会ってほしい人
日本に一時帰国される機会はとても貴重なので、対面でゆりさんのお話を聞けること自体が大きな価値ですよね。コーチングの魅力や必要性を、ゆりさんのようなスペシャリストから直接学べるこの機会を、ぜひ逃さないでほしいです。 (フリーアナウンサー、コミュニケーションスペシャリスト 倉林知子氏)
自分を責めがちな人にこそ、聞いてほしい

「集中力を高める目的は“人生の主導権を取り戻すこと”」という言葉に、強く共感しました。時間が足りないのは、自分の能力や努力が足りないからだと感じて、自分を責めてしまう方にこそ、ゆりさんのお話を直接聞いて、新しい視点を受け取ってほしいです。 (企業内大学事務局 森美江氏)

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リアルだからこそ受け取れる学びがある

成長マインドセットを持ち、多角的に挑戦されているからこそ、リアルでお会いしたときに感じる情報量や学びの深さは圧倒的です。運動を生活導線に組み込む仕組み化のお話も印象的で、ぜひセミナーで直接その魅力に触れていただきたいです。 (ソーシャルイノベーションプロデューサー 日野紀子氏)

忙しさを理論と仕組みで変えていくヒント
時間に追われている状況を、理論や仕組みで改善していく取り組みがとても実用的。会社でも家庭でもさまざまな役割を担い、日々忙しく過ごしている30代〜50代の女性にこそ、ぜひセミナーで、ゆりさんから直接その考え方を受け取ってほしいです。 (キャリアコンサルタント 中田暁子氏)
自分の時間と価値観を見つめ直したい方へ

日々忙しく過ごしている方や、「このままでいいのかな」とどこかで感じている方に、ぜひ聞いていただきたい内容です。大きく何かを変えるというよりも、一度立ち止まって、自分の時間の使い方や価値観を見つめ直したい方にとって、大切なきっかけになると思います。 (行政書士 秋元志保氏)

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時間に追われる毎日を見直したい方へ

「忙しい」「時間に追われている」と感じているキャリア女性にこそ、ぜひ聞いてほしいです。時間が足りない状況は、意志の力だけで何とかするものではなく、整え方や仕組みが大切なのだという新しい視点に出会える、貴重な機会です。 (女性のためのキャリアコーチ&研修講師 ヴィランティ牧野祝子)

忙しい個人事業主・副業ワーカーおすすめ
仕事が増えるほど収入につながる一方で、その分時間に追われやすくなる立場の方こそ実践的に響くと思います。日々の業務に追われる若手の創業者の方々にとっても、今後の働き方や時間の使い方を見直す大きなヒントになると思います。 (中小企業診断士 長山萌音氏)
人生の価値を高めるための気づきがある

「時間の使い方を整えることは、人生の主導権を取り戻すことにつながる」という言葉が印象的。自分の時間やお金を何に使うのかを見直すことは、人生の価値そのものを高めることにつながりますよね。リアルこそ深い学びにつながるのでおすすめです。(女性に売れる言葉とデザインの専門家 橋本夏子)

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